父の日が近づいてくると

小さい頃のことを思い出します。

 

実は筆者は、幼い頃

この「父の日」が大嫌いだったのです。

 

理由は 母子家庭だったからです。

母と自分と二人だけの生活でした。

 

子どもの頃は やはり

お父さんが欲しくて欲しくて

たまりませんでした。

 

友だちの家に遊びに行って

お父さんという存在を目のあたりに

するたびに

「いいなあ・・」と

ため息をつきながらの帰り路でした。

 

そして例年、父の日が近づくと

保育園でも小学校でも

「お父さんの顔」を描きましょう

という先生からの魔の宣告がありました。

 

そのたびに、

「どうしよう・・・」

と悩みました。

幼い自分は先生に

「お父さんいないから描けません」と

言ったらいいものなのか、

言うにしてもどうやっていうのか

勇気が出せず、もじもじしていた

ことを思い出します。

 

なので、「父の日」と聞くたびに

「やだなあ・・」と

なったのです。

 

しかし!!

昭和一ケタの肝っ玉母さんの母は

私のかわいい悩みなど、

その都度 笑い飛ばし

 

「何をくよくよしてるの!

 うちはね、お母さんがお父さんの分まで

 頑張っているんだから!

 父の日も母の日も全部 お母さんを描いておけばよし!」

と 背中をバーンとたたかれました。

 

「そんなこと言ったって。。。」と

思いつつも、結局は

「なんで?」と訊いてくる友だちに

いちいち説明するのをめんどくさく思いながらも

「母の顔」を「父の日」に描いていました。

 

それでは 家庭の中に 父親はいなかったのかと

言えば、姿はなくても実は

存在していたように思います。

 

母は早朝から、夕方まで働いていました。

「仕事があることが ありがたい。

 あんたがいることも ありがたい

 だからこうして二人でおいしく

 ご飯が食べられる

 家は幸せいっぱいだねぇ!」

が、口癖でした。

 

そして私が父親がいないことをぼやくと

「しょうがないでしょ。

 いないものは いないの!

 うちには、お父さんはいないけれど

 お母さんはお父さんの分まで

 頑張るから仕事もするし

 家のこともするよ。

 だからいいんです!」

と、勝手に「いいんです宣言」をしつつ

それでも、

一人で、父、母の二役の姿を

私に見せようと頑張っていました。

また、世のお父さんがされそうなことを

一生けん命 私に与えようとしてくれた

ように思います。

 

それは キャッチボールだったり、

相撲の相手をしてくれたり、

巨人戦に連れていってくれたり、

出張先でおみやげを買ってきてくれたり等々。。

 

またいいことばかりではなく、

叱られる時は二人分のげんこつが

頭に飛んできました。

「これはお母さんのげんこつ

 これはお父さんのげんこつ

 ごつん ごつん の二連発!」

 

根暗な私がウジウジ悩めば

「細かいもんばっか気にしとると

 大きいもんが見えんくなるよ」と

名古屋弁で いつも豪快でした。

 

そんな母も 定年60歳まで

働きあげ、今はすでに80歳を過ぎました。

未だに私は母に頭が上がりません。

母は 今もなお、舌を巻く存在です。

 

先日も母が我が家に遊びに来たとき、

私と息子のやりとりを聞きながら

 

「あんたね、すべて子どもの話に

 答えを出しなさんな。

 あの子にはお父さんがいるんだから・・

 (私の夫のことです)

 大事なことはお父さんに相談するようにしなきゃいかんよ。

 たとえ、お父さんがその場に、おられんでも、

 お父さんの意見を

 大事にしようとする母親の姿

 見せんでどうするの!」

 

と するどい一撃を私に飛ばしました。

 

ひとり 二役の子育てを

心がけていた母が

家庭内で娘に示したくても

示せなかったものが

 

「尊重しあう親の姿」

 

だったんだなあ

と、その時 感じました。

 

「合点承知しました!深く反省いたします」

と 母の前で、未だに舌をペロリと出す

未熟な娘のままの自分がそこにいました。

 


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